大阪高等裁判所 昭和42年(ツ)71号 判決 1969年10月22日
上告人
島田勝蔵
代理人
北川正夫
被上告人
島田房吉
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告理由一、及び二、について
本訴は、上告人が田である本件土地の占有を被上告人に奪われたとして、被上告人に対し占有権に基いて右土地の返還を求める占有回収の訴であるところ、上告人が嘗て本件土地を占有耕作していたことは当事者間に争いがなく、且つ、原審は証拠によつて、上告人は昭和二六年頃右占有を開始し昭和三九年一一月頃までこれを継続していた、との事実を確定しているのであるから、本件においてそれ以上に上告人が如何なる権原に基いて右占有をなしていたかを審究する必要はないのであつて、原判決中、上告人は嶋田市郎から本件土地を賃借して耕作していたが右貸借については旧農地調整法第四条第一項による承認ないし農地法第三条第一項による許可を得ないまま推移した、との判示部分は単に上告人の本件土地の占有に伴う事情を附加的に説示したものに過ぎない。従つて、仮に、原審が右事情の認定に際して所論<証拠>の取捨判断を誤つた結果、原判決に所論の違法をもたらしたとしても、その違法は判決の結果に影響を及ぼすべき重要な事項に関するものといえないことが明らかであるから、論旨は採用できない。
同三、について
所論の点について、原審は、もと本件土地の所有者であつた嶋田市郎は、かねて、必要な場合は何時でも返還を受ける約束で、本件土地を叔父である上告人に耕作させていたが、昭和三七年春五男の大学入学のためまとまつた金員が必要となつたので、上告人に対し、本件土地を担保として一〇〇万円を融通するか或いは同額でこれを買取るよう申入れたところ、上告人は、右申入れには応じられないけれども、市郎が本件土地を他に売渡すときは当初の約束どおりこれを返還する旨確約したこと、そこで市郎は、実弟である嶋田五郎から右金員の融通を受けた後、昭和三八年秋頃同人の仲介で被上告人に本件土地を売渡し(農地法第三条による県知事の許可を受けて昭和三九年七月頃その所有権移転登記を了えた)、上告人に対し再三右土地の返還方を申入れたが、上告人は前記確約に反して依然本件土地の耕作を継続していたこと、昭和三九年一一月頃市郎が五郎と共に上告人に重ねて本件土地の返還方を要求した結果、市郎と上告人との間に、上告人は同年の収獲の終り次第右土地を市郎に返還する、との合意が成立したこと、そして同月二〇日頃、上告人が稲の取入れを終り、本件土地自由には立入りできる状態になつたので、市郎はその引渡を受けたものとして被上告人に本件土地を使用するよう申入れ、被上告人においてこれに応じて本件土地の占有を開始したものであること、等の事実を確定しているのである。
ところで、占有移転の対象となる物が農地の如き不動産であつて、関係当事者がその所在範囲を熟知しており、而も収獲が終つて地上に引渡を妨げるべき前占有者の物件も残存せず、何人も自由に出入できる空地同然の状態にあるときは、その現実の引渡は、当事者間で引渡の合意をするを以て足り、必ずしも現地に臨んで検分の上引渡の合意をする必要はないものと解すべきである。従つてまた、かかる農地につき収獲完了前になされた引渡の合意であつても、その趣旨が、引渡義務の発生を目的とする債権的な約定ではなく、収獲完了により引渡が可能となると同時に占有権を移転させる物権的な約定であると認められるときは、特段の事由のない限り、収獲完了と同時に占の転効有移力を生ずるものといわなければならない。
本件において原審の確定した前記事実、殊に、昭和三九年一一月頃上告人と嶋田市郎との間に成立した合意において引渡の対象とされている本件土地(田)は、元来、上告人がそのある甥で所有者市郎の必要に応じて何時でも返還する約束で耕作していたものであること、右引渡の合意は、上告人が昭和三七年春市郎においてこれを他に売却すると同時に返還する旨一旦確約しながらこれを履行せず、市郎が再三返還方を申入れた末に成立したものであること、また、その成立時期は、引渡の時と定められた本件土地の収獲完了の僅か二〇日足らず前であること等の事実より考察すれば、右引渡の合意は収獲完了を見越してなされた物権的な占有移転の約定であると認めるのが相当である。
そうであれば、本件土地の占有は、他に特段の事由の認められない本件にあつては、上告人が右土地における収獲を終えた時に上告人より嶋田市郎に移転したものとみるべきであつて、これと同趣旨に出た原審の所論判示部分の判断は正当である。原判決に所論の違法はなく、論旨は、独自の見解に基いて原判決を論難するものであつて、採用できない。
よつて、民事訴訟法第四〇一条、第九五条、第九八条に従い、主文のとおり判決する。(金田宇佐夫 輪湖公寛 中川臣朗)